中学社会(歴史)の復習ということで、今回は「飛鳥(あすか)時代」を勉強しましょう。
ざっくり言うと…
聖徳太子が推古天皇の摂政になり、天皇中心の仕組みを作ろうとした。
蘇我氏が調子こいたので、中大兄皇子が大化の改新を起こす
・いつ
592年~710年=飛鳥時代
・どこで
奈良
・だれが、何を
この単元での主人公は2人です。「聖徳太子」」と「中大兄皇子」。彼らに共通するのは「天皇中心の政治体制を確立させようと努力した」ということです。
飛鳥時代エピソード1
飛鳥時代がはじまったころ、日本にはドラえもんのジャイアンみたいなのがゴロゴロいました。
各地で「豪族」が仕切っている状態で、今のように東京で何でも決まる中央に権力は集中していません。
593年、聖徳太子は天皇を助ける「摂政」となります。当時の天皇は推古天皇です。
11人の話しを一度に聞き分けたという伝説をもつ聖徳太子。テストに出るのは4つ。
十七条の憲法
「一に曰(い)わく、和を以(も)って貴(とうと)しとなし、」で始まります。この冒頭部分のフレーズだけは覚えておきましょう。★資料問題で出題されます。
このフレーズで始まる資料が「十七条の憲法」であることが分かれば問題ありません。まれに「和」の部分を穴埋めで出題する先生もあります。高校入試レベルでの穴埋めは出題はほぼ無いです。
和を以(も)って貴(とうと)しとなし=「仲良くしろ」
という理解でokです。そのぐらい争いが絶えない時代だったということです。
「十七条の憲法」が「役人の心構え」を示したものであることを覚えいておいてください。★記述問題で出題されます。
冠位十二階
当時は家柄で仕事が決まる時代です。今のように「将来の夢は公務員です」なんて言えない時代です。生まれた時点で決まっています。
「それ 不幸やん」と言ったかどうだかはしりませんが★「家柄にとらわれずに実力のある人を役人にする」という制度を聖徳太子は作りました。これを「冠位十二階」と言います。
遣隋使
聖徳太子が中国にケンカを売ったのは有名な話です。「これからイケイケの日本が、落ちぶれつつある中国に手紙を書きました!!!」とハッキリは言いませんが、そんな感じの手紙を送りました。
手紙の中身を知っていたのかどうだか定かではありませんが、小野妹子という女性のような名前の男性が、当時の中国(隋)に「遣隋使」として持ち込みました。
受け取った隋(煬帝)は、ムカついて小野妹子をその場で殺してしまう勢いだったかもしれません。しかし隋も遠征で国力を日本にまで分散できない状態だったので、丸くおさめたとされています。
その後、何度か派遣されることになる遣隋使。中国の進んだ文化や政治体制を学びました。
法隆寺(ほうりゅうじ)
聖徳太子が建てた「世界最古の木造建築」であることを覚えておけばokです。★教科書で外観を確認しておいてください。資料問題として出題されます。
飛鳥時代エピソード2
中大兄皇子による大化の改新
聖徳太子が亡くなると、蘇我氏の権力が増大します。まだ基礎も完成してない天皇制に危機が生じます。それをみていた中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)は蘇我氏を倒すことを決意します。
彼は中臣鎌足(なかとみのかまたり)の力をかりつつ蘇我氏打倒を決行し成功します。これを歴史用語で「大化の改新」と言います。
ここで覚えておいてほしいので「蘇我氏を倒したことだけ」が内容ではないということです。「改」という部分はそこにあたりますが、では「新」は何なのかまで確認しておきましょう。
公地公民(こうちこうみん)
はい!絶対暗記の最頻出用語です。中大兄皇子は「国家と人民を天皇が直接支配する」という仕組みを作ります。豪族の歴史は終わりですよ!と宣言したのです。
この部分が「大化の改新」の「新」の部分にあたり「公地公民」の内容になります。
天智天皇
王子はいつか王様になります。中大兄皇子は「天智天皇」と呼ばれるようになります。
「大化の改新」に協力した中臣鎌足は、「藤原」の苗字をもらいます。平安時代に登場する藤原道長などは、それです。
壬申の乱
天智天皇の次に誰が天皇をやるかでもめました。順当にいけば子どもが次の天皇になるべきでしたが、天智天皇の弟がやりたいと言い出したので、さー大変。
最終的は天智天皇の息子ではなく「弟」が勝ち、天武天皇として即位します。
※追記2018年7月7日
「壬申の乱」と記入するべき部分を「承久の乱」と表記してました。
お詫びして訂正させていただきますm(_ _)m
飛鳥時代 エピソード3
当時の朝鮮半島の勢力図を頭にいれておいてください。教科書にのってます。位置関係もしっかり確認してください。
百済・・・3つのなかで一番先にほろびます。
新羅・・・最後に残ったのがココです。
高句麗
日本は親交のあった百済に援軍を差し向けますが、返り討ちにあいます。
そのため中大兄皇子(後の天智天皇)は、朝鮮から手をひき国防に力をいれるようになります。
朝鮮内での争いにより、日本に逃れてきた人たちのことを「渡来人」と呼びます。これがきっかけで「漢字」や「儒教」が伝わりました。この時代に伝わったものとして「米」を間違い選択肢として出題されることがあります。
「稲作」は「弥生時代」なのではるか昔になります。注意してください。